国の文化審議会が21日に文部科学相に答申し、人間国宝に認定されることになった愛媛県西予市出身の人形浄瑠璃文楽の人形遣い、吉田和生さん(69)=兵庫県芦屋市=は、半世紀を人形と共に歩んできた。だが愛媛にいた高校時代までは、文楽を見たこともなかった。伝統芸能の世界に飛び込んだきっかけは―。
【師匠の誘い「ただ面白そう」】
 和生さんは野村高校3年の頃、進路を迷った末、思い切って進学しないことを決めた。「大学に行ったつもりで4年間、遊んだろかな」。職人の世界や漆工芸に興味があったため、京都市の国宝修理所を見学したり、文楽人形の首(かしら)作りの第一人者として知られた徳島県鳴門市の故・大江巳之助さんを訪ねたりした。
 「首はわしがほとんど作ってるし、うちに来てもなあ…」。弟子入りに難色を示した大江さんは「大阪に行ったらどうか」と、旧知の人形遣いで後に人間国宝となった故・吉田文雀さんの元へ行くよう勧めた。和生さんが訪れる前、たまたま家に来ていた文雀さんから、文楽の人手不足を耳にしていた。
 文雀さんは自宅に泊めた19歳の若者に尋ねた。「お前、どうする」。「やります」。短い会話を経て和生さんは内弟子となり、江戸初期から続く伝統芸能の世界に足を踏み入れた。
 「人形に憧れたり、三味線の音に引かれたりとかは一切なかった。ただ面白そうかなと。(文楽の世界に入ったことが)いいか悪いかは今も分からんが、人生ってそんなもんやろな」
【増やし続けた芸の引き出し】
 おやっさん(文雀さん)はとにかく芝居好きだった。「和生、明日の休み、どないするんや」「紅テントに行こうかと」「わしも行こう」。師匠と内弟子は連れだって、ありとあらゆるジャンルの作品を見た。人形の動作に込められた心情や背景に関する師匠のうんちくと相まって、たくさんの引き出しができた。「多くの引き出しの中から、いかに要るものを引っ張り出すか」。それが人形に魂を吹き込む要諦と心得る。
 文楽は300年前の古典をそのまま上演している。だが演じるのは現代の人間。「同じといいながら(昔とは)全然違うと思う。昨日と今日でも微妙に違う」。義太夫節で情景や登場人物の言葉などを語る太夫によっても作品への思い入れはさまざま。「そう来てんのか」と意外に感じながら人形の動きを合わせる日もある。客席からはいつもと同じに見えても、舞台裏では日々、演技の質を高めようと考えを巡らせている。
 幕切れの際、場内にチョーンと響く柝(き=拍子木)の澄んだ音を聞くと、いい気持ちになるのだと柔和な表情を浮かべる。「頂いた役を一生懸命務め、(観客に)喜んで帰ってもらえれば、それが一番いいこと」。自己満足と謙遜しつつ、古希を目前にした今もさらなる高みを目指し、技芸研さんと後進育成に余念がない。